詩「蛇の気持ち」
蛇にも生まれてきた意味がある
アオダイショウは生家でよく見かけた
アオダイショウの気持ちを少年は理解できなかった
アオダイショウは床の間で寝ていた
ミシンの脚にとぐろを巻いて昼寝していた
祖母も母も悲鳴をあげて怖がっていた
幼い僕は蛇は怖いものだと悲鳴に教えられた
三国山山頂近くでであったマムシとは長話をした
道を通してくれと頼んだが頑固にイヤだと威嚇してきた
島後の我が家にはヤマカガシが棲んでいるいる
時々庭先に姿を見せて僕らを驚かせる
マムシの3倍の毒をもつというヤマカガシ
ヤマカガシはマムシをどう思っているのだろうか
ヤマカガシとマムシが出会うと挨拶するのだろうか
それぞれに毒の自慢をするのだろうか
アオダイショウは毒をもつ蛇をどう思っているのだろうか
蛇の気持ち蛙の気持ち僕の気持ちがある
詩「とにかく」
とにかく書く
何かを書く
書いてみないと何が現れるかわからいから書く
気持ちではない
声ではない
言葉を文字で書く
絵ではない
写真ではない
日本語の文字で書く
とにかく書いてみる
こうして書いてみる
詩「時張山」
妻が図書館から借りてきた雑誌を読んでいる
僕は時張山をながめている
裏庭でトイレ改築の工事がはじまった
時張山の上には雲がある
詩「下書き」
下書きがたまる
下書きはなぜ下書きなのかと自問する
おれはホンモノではないからだろうか
下書きなりにがんばっているのに
主は下書きとして保存する
主の自信の無さが下書きになっておるのだが
下書きそのものはいつでも表に出ていい覚悟はあるのだ
それが許されないのが下書きのストレスである
下書きがたまる
これも下書きとして保存されるのだろうか
詩「原稿用紙4枚以内」
文芸隠岐に投稿する
詩を
一人一篇原稿用紙4枚以内
応募資格は
隠岐島内に在住する方々及び隠岐にかつて住んでいたことのある方
僕には資格がある
参加料1000円のお金もある
あとは作品を生み出すだけだ
短歌、俳句、川柳もあるが読むのは自信あるがつくるのは自信がない
随筆、評論、手記等も書けそうだが考えるエネルギーが要る
小説はショートショートを書いてみたい気もするが
やはり詩を投稿したい
締切日令和5年9月30日必着
まだ2週間ある
この詩を投稿してみようかな
いやいや原稿用紙4枚以内ということは
80行の詩が書けるということだ
そんな長い詩を今まで書いたことあるだろうか
題をつけて78行の詩が書ける
これはやってみたいことかもしれない
題名は「78行の詩」なんてどうだろうか
これは78行という制限があるから苦行になるからやめよう
ま、あと2週間あるから考えよう
詩「雨」
こころはどこにある
こころはここにはない
時張山の霧動く
縁側で足の爪を切る
縁側で安楽椅子にすわる
隠居暮らしの王道であるが
こころはここにない
こころはまだ移住をしていない
時張山に雨がふる
詩「夜」
夜になった
夜がきた
夜がふけてゆく
島後の夜は真っ暗だから星がきれいだと息子は言うが
思ったほどきれいだとは思わない
夜、君はなにを考えている?
彼のこと、それとも仕事のこと?
猫のこと?明日のこと?
ぼくは明日のことをなにも考えていない
これって明日に失礼なのかもしれないが
今日がまだ残っているから今日を生きろよという声がする
いやいやもう今日はおわっただろうと思う気持ちもある
どのみち死ぬ
どのみちもうすぐ眠る
目が覚めたらラッキーと思って生きよう
マークノップラーの今を見ていたら
たんたんといっしょうけんめいに生きてきたんだとメッセージしてくる
おまえはいっしょうけんめいにいきているかと問われる
ぼくはどちらかというとだらだらと生きている
山歩きとか散歩のときだけはいっしょうけんめいになるんだが
日常がいっしょうけんめいとは限らない
ま、そんなとこかな
おやすみなさい
詩「写真の力」
USBメモリーカードという言葉も忘れた頃に
黒いUSBメモリーカードが黒いカバンの底にあった
パソコンに入れて開いてみると写真だった
2011年と2012年の写真が入っていて
花の写真の多さに少し驚いている
ぼくは花の名前もあまり知らないし
今その写真を見ても何も感じなかった
やはり感じるのは人間だった
10年前いや12年前の人間や僕が写っている
写真というのはこの復活復元できないものを
残すにはひとつの武器になる
写真には
絵画にも音楽にも文学でも残せないものが時として残る
残ることが正しいとは限らないが
とにかく残ることにちがいはない