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映画「銀河鉄道の父」「帰れない山」を見ての感想

銀河鉄道の父

5月26日、宮沢賢治ファンとして「銀河鉄道の父」を観に行った。宮沢賢治の父役を役所広司が、宮沢賢治を菅田将暉が演じる。家族愛を描いた小説の映画化だそうな。役所広司も菅田将暉も演技がうまいからそれだけでも観る価値あるだろうと思って観たが、ま、映画にするまでの内容ではなかった。小説は直木賞を受賞した、それを映画化にするという、それが映画という仕事に携わる人々の営みのひとつなんだろうが。「映画」にはやはり「特別な何か」が観たあとに余韻として残らないと僕にとっては価値がない。そういう意味で「銀河鉄道の父」は小説として残るだけでよかったような気がする。映画人は個々に仕事として引き受け頑張ったんだろうが、ま、「宮沢賢治」の作品が未来に残るように、この映画が語り継がれることはないと思う。ただ、映画で描きたかった「家族愛」は祖父、父、賢治、兄弟姉妹を通して少し感じるものがあったが、あれは恵まれたひとつの家族にすぎない。僕個人としては父政次郎よりも坂井真紀が演じた賢治の母親の姿に感じるところが多かった。宮沢賢治の母親は深く語られていないが素晴らしい女性だったと想像される。坂井真紀の演技も控えめでよかった。

ま、「映画にしなくてもいいんじゃない?」と思う映画がたくさん作られている。娯楽映画としての映画が、アート的なものになったり、刺激を追求するものになったり様々だが、「創る側」からすると人生、命をかけて頑張って作っている現状なんだろうか。1100円を払って観る側も「ただ」で観るわけではないから、魅せる側ももっともっと頑張ってほしいと感じる映画だった。

ただ、最後に政次郎が銀河鉄道に乗車して賢治とトシの前に座って「ありがとう」という終わり方には小さな拍手を送りたい。

帰れない山

「銀河鉄道の父」を観た夜、「帰れない山」を観た。上映時間147分。長い映画だった。セイオさんがYAPAPモーメントで紹介されていたが、やはりベストセラー小説の映画化だそうだ。都会育ちの少年ピエトロと山麓で牛飼いをする少年ブルーノの物語。この二人の少年がやがて成人してから再会したあとの出来事が物語の中心だった。父親に反抗したピエトロの生き方を見て、「そんなに人生を大袈裟に構える必要はないよ」と言いたかった。人生は短い、人生は動く、人生はすぐ終末になる、が今の僕の気持ちだからだ。ま、ピエトロは裕福な家庭に育ったからゆえの不満と葛藤のすえ、ネパールに自分探しの旅をして生涯の伴侶となる女性に出逢う。そういうのは多くの人の人生なのかもしれない。だが、もっと平凡な人生のほうが大多数だと思う。

一方、ブルーノは「山の民」として高等教育も受けずに生きていく。そして、亡くなったピエトロの父親との約束を果たすと山小屋作りに取り掛かる。その山小屋作りを手伝うのはもちろん「自分が何を求めて生きているかがわからない」ピエトロだった。この二人の生き方、暮らし、家族観のほうが、「銀河鉄道の父」より「家族」を描いていると感じた。「家族愛」を描こうとした「銀河鉄道の父」よりも、「帰れない山」に「家族」を感じることができた。父親への反発、母親に対して「クソババア!」と叫びたくなる時期が僕にもあった。父親がいて母親がいるだけでしあわせなのに、それに気づくのは親が死んでからだ。

ピエトロはネパールで出逢った女性と家族をもち、幸せな家庭を築く。先にピエトロの友人と結婚して娘に恵まれ幸せな暮らしをしていたブルーノが金銭的な考えの違いから別居離婚をして孤独のまま大雪に遭遇して死んでいく。「今」の幸不幸は永遠ではないこと、時間は動いていること、そして現世での時間は短いことを再認識させてくれる映画だった。上映時間は長かったが、いろいろ感じたり考えることは多かった。これが映画の醍醐味だよ。それと音楽が素晴らしかった。北イタリアのモンテローザ山麓という場所が舞台だったそうだが、その山々の光景と音楽がコラボしながら、素晴らしい空気を醸し出していた。最後のブルーノの死体を食べる烏は、ブルーノが望んだ鳥葬として描かれたのだろうか?小説を読んでみたいと感じた。

夜9時に久山トリアスシネマに入館した。11時前にトイレにいくと館内に誰もいなかった。スタッフの姿も見なかった。で、「帰れない山」を見てるのも僕一人、貸し切り状態。上映終了間際の映画を観ると貸切状態で映画を観ることが多いが、久山映画館全体が貸切状態みたいで少し不気味だった。

追記。僕は山頂からピエトロが「ブルーノ!」と叫び、屋根上で作業していたブルーノが「オーーーイ!」と応える場面が一番好きだった。俵万智の短歌「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさを、ふと思い出していた。

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コックン

2014年12月(当時59歳)に近場の低山歩きを始めた。 これから山歩き(登山)をはじめようと思っている方や福岡県内の里山や無名山に興味関心がある方々向けて情報発信したいと考えている。 福岡県の低山・里山・無名山以外にも駅舎や神社、コミュニティーバスなども好きである。

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