コーヒーと僕
コーヒーとの僕の関係は極めて薄い、というか無いに等しい。
ま、学生時代、喫茶店に入ると、仲間がコーヒーを注文するとき真似て注文して失敗したと思ったのが喫茶店珈琲との出会いかな。
コーヒーは苦いものだと認識はあったが、お金を出して飲む価値があるかと考えたら「飲む価値なし」が僕の感想だった。
ま、どうしてもとコーヒーを飲む場合は、砂糖とミルク、特にこのミルクを入れて飲むパターンになっていた。
その後は喫茶店ではバナナジュースを注文するよう時代がしばらくはつづいた。
ま、就職してからは自販機にある缶コーヒーを買うようになった。
GEORGIAとBOSSとキリンのWONDAで悩むくらいだった。
微糖派である。ブラックは飲む価値なしと思って生きてきた。
ちなみに、実家時代は親父がインスタントのネスカフェコーヒを飲んでいたような記憶がある。
ま、基本的には珈琲に興味関心なかったわけだ。
経緯(いきさつ)
家事という重労働があるが、まったく家事をしない、できないと決めつけてる僕に妻から「あなたにやってほしい家事があるんだけど」と話があったのは1月初旬(2021年)だった。
ドキッ!
山を歩いて汗をふくんだ臭いTシャツやズボンや靴下や下着をいつも洗濯機の前の籠に入れるだけだから、たぶん山歩きで使った衣類の洗濯物は自分で洗ってほしいという家事を想像した。
いや、そんな高等な家事はできないとわかっているから、やはりお風呂掃除くらいだろう、と考えた。
結果は「珈琲を淹れてほしい」というリクエストだった。
珈琲を淹れる?それが家事なのか?と疑問がわいたが、洗濯や風呂掃除に比べたら圧倒的に楽そうな家事に思えたので、即了承した。
妻からこれを見て勉強しなさいとYouTubeまでの指示がでた。
YouTubeを見るくらいなら屁でもないと見たわけさ。
「挽く」「淹れる」
珈琲豆を「挽く」、そしてその粉になった珈琲を「淹れる」、どちらも知らない言葉であり、知らない漢字だった。
さらには「蒸す」という行為があり、なかなか珈琲というやつは面倒くさいやつだとこのあたりで感じはじめていた。
しかし、この時代のおそろしさは、ポチッと押したら珈琲関係がすぐ送られてくることだった。
こうして僕の家事労働「珈琲物語」がはじまったわけである。
「僕の珈琲物語」も連載することに決めた
1度で書けないなら、要は簡単、連載していけばいい。
珈琲関係の道具や珈琲そのものの種類が山ほどあることを少し知った。
珈琲用語もあって、わからないことばかりだが、低山歩き初心者に向けて書くのと同じで、珈琲初心者がどのようになっていくかも、なかなおもしろい企画かもしれない。
ま、そういうわけで少しずつ、飽きない程度のペースで「僕の珈琲物語」を書いていきます。