好きなこといろいろ

天野滋のことば。

2002年発売の「奥のフォーク道」「続・奥のフォーク道」2003年発売の「極・奥のフォーク道」のブックレットに載せられた天野滋のコメントをここにまとめておくことにする。

「奥のフォーク道」より

70年代には忘れ去られそうなよい曲がたくさんあったはず。「奥のフォーク道」の企画を平賀氏から聞いた時、多くのアーティスト達の顔を思い出しました。すいかずら、マギーメイ、宿屋の飯盛、ミルキーウェイ、丘蒸気、メロディー、古時計、くもと空などは僕のリクエストでもあった。この企画は確かに名作ぞろいです。昔気分で聴いてみたいですね。

「白い椅子の陰」ーNSPの「明日によせて」(1977年)というアルバムに入っている曲。渋谷の公園通りにあった実在の喫茶店を舞台にしています。1977年の渋谷はそれほどお店が立ち並んでもいなくて、公園通りもおだやかなものでした。当時、僕は渋谷の桜ヶ丘あたりに住んでいて、休み日はというとパルコの近くのレコード屋に行って新譜を漁ったり、この喫茶店でコーヒーを飲んだりしていました。渋谷公会堂も何度かライブをやったところだし、公園通りの坂を登った辺りはとても想い出深いところです。今でも時々行くんだけれど行くたびに景色が変わってゆく。いつのまにこんなビルが建ったんだろう、とか。木造平屋建てだったこの喫茶店も、現在はビルの中に入っているようです。

「黄昏に語りて」ー1976年、天野滋のソロアルバムに入っている曲。NSPは1973年のレコードデビューから1986年の活動停止までの13年間に21枚のアルバム(ベスト2枚含む)をリリースして、その上コンサートツアーを精力的に行ったグループです。お休みの日といっても曲作りに励んでいましたから。今考えると僕って何者?という感じですね。さらに76年にはNSPの夏休みをこのソロアルバムの制作に充てました。なんだかとてもしんみりした曲に仕上がっています。

「続・奥のフォーク道」より

前作の「奥のフォーク道」は音楽業界で密かな話題になりましたね。サンプル盤を欲しいという業界関係者が多数、平賀氏に群がったとか・・・これは平賀氏に直接聞いた話なのでたぶん確かです。そこで、早くも続編ですかぁー渋い曲からかなりのヒット曲まで、幅広い選曲ですね。

「線香花火」は1976年、7作目のアルバム「シャツのほころび涙のかけら」からのシングルカット。子供の頃、花火セットを買ってもらってベランダや近所の空き地で行う夏のイベント、なぜかとても興奮しました。最後に残った線香花火に火をつけるとその一瞬のきらめきはどこか悲しげで素敵でした。そして、ブルブルっと肩が震えた。夜風はすでに秋を連れてきていたんです。

「追憶の詩」、この曲はやはり1976年のソロアルバムの中の1曲。僕は23才でした。ずいぶんたくさんの思い出を詩にしました。あの頃の自分の思い出って5年くらい前だったりする。今考えてみるとそんなに昔のことじゃなかった。こうして20数年月日を重ねてみると、5年前も10年前もどっちが昔か、よくわからなくなっていることも多いんですね。ついこの間って感じもするし・・・。

「極・奥のフォーク道」より

ずいぶん前に「奥のフォーク道」の企画を平賀から聞かされた時、通販だけでは正直ちょっともったいないないなと感じたわけです。永遠に忘れ去られてしまうかもしれないレコード時代の音源がこの企画の中でよみがえるぞ、と思ったから・・・。それで、僕も「マギーメイ」「宿場の飯盛」ほか、いくつかのリクエストをした。この企画は音楽業界の一部で密かなブームになった。アルフィーの坂崎氏がマギーメイのファンだったことが判明したり、みんなの遠い記憶を遡るきっかけとなったんですね。それぞれのアーチストのHPやラジオを通して話題を提供したのも事実。大成功と言える企画でしょう。できるならこれを通販の中だけに留めたくないと考えるのは僕だけだろうか?

シリーズ完結編は「極」ということで、前2作とは少し異なる内容。特にDisc1に納められているコミックソング系の選曲はかなりのインパクトですね。NSPの音源としては1973年のFIRST(なんとNSPはファーストはライブ)から「便所虫」。恐ろしい曲である。1973年は第4次中東戦争が始まって、原油が値上がりした、いわゆる石油ショックの年。スーパーにトイレットペーパーなどを買いだめする客が殺到したんですね。品不足になるということで。物価もどんどん上昇して。家の人も「紙が不足したらケツがフケナイ」などと心配してスーパーに並んだみたいです。みたい、というのは僕はデビューということで頭がいっぱいいっぱいで、勉学やテストとかにも実が入らず、せっせと曲作りばかりしてたわけです。そして世間が浮き足立っていた状態が僕の曲作りも影響したのか、のちに叙情派フォークと呼ばれるNSPの作品の中でも異色モノが生まれています。その代表が「便所虫」。何が僕をそうさせたのか、どんな力が僕にこの曲を作らせたのか、今ではわかりません。魔がさしたというか・・・。

そして、74年のサードアルバムから「いなかっぺちゃん」。「夕暮れ時はさびしそう」がヒットし、NSPがようやく全国区に認知されたあとにリリースされたサードアルバムの片隅に収録されている曲。当時、みんなびっくりしたんじゃないでしょうか?2番と3番の間に間奏ではなく、3人の自己紹介が・・・。たぶんこの曲の歌入れは、朝早く起きて午前中にレコーディングしたと思います。午後は飛行機に乗ってどこかへ飛び、コンサートというスケジュール。忙しかった日々の中、のんびりと歌ってますね。

もう1曲は「さようなら」。これは1991バージョンと表記されているように、NSP活動休止中にシンガーソングライター・ルネッサンスというシリーズ企画のNSPベストアルバムのためにレコーディングした唯一のもの。メンバーは僕と平賀、岡崎倫典、清水信之、MASAストリングス。

「歌は世につれ」は1976年の僕のソロアルバムから。はじめてのソロということで気合を入れてレコーディングに臨んだんですが、歌入れの頃にはちょっと疲れたって感じのレコーディングだった記憶があります。このスタジオを見学にきていた西郡葉子さんがこの曲をカバーすることに…。

それからもう1曲。高木麻早さんの「歩道橋」は僕がペンネームで書いた曲、当時自分ではかなり気に入ってました。

 

 

コメントを書き写してみての感想

1953年生まれの天野滋が49才、50才の頃のコメントである。これを書いた時期はまだ病気もわかっておらず、2002年NSP復活コンサートをするわけであるから、ある意味勢いが出始めた頃だと思う。「奥のフォーク道」や「続・奥のフォーク道」では「平賀氏」と書いているのが「極」では「平賀」といつもの呼び捨てになっているところが妙に嬉しかった。天野と平賀の関係ではやはり「呼び捨て」しあうところが僕は好きだったからだ。

この「奥のフォーク道」シリーズの貴重さは、天野が書いているように、「忘れ去られるような良い曲」が収録されているところだと思う。誰でも知っているヒットアーティストが名を連ねているフォーク全集は本当にたくさん出ていたし、今も残っている。しかし、この平賀和人プロデュースの「奥のフォーク道」シリーズは平賀の個人的好みだけで作られたような全集になっている。

買った当時は「平賀、マニアックな曲を選んできたな」という感じで聴いていたが、それから20年たって聞いてみると、天野が書いているように、本当に「忘れ去られる」いや忘れ去られた曲がたくさん収録されていたことに驚いた。今回、僕は思い出せない歌をYouTubeで探しながら全204曲を聞いてみた。67才で聴く「奥のフォーク道」シリーズは47才で聴いたときと全然違っていた。

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コックン

2014年12月(当時59歳)に近場の低山歩きを始めた。 これから山歩き(登山)をはじめようと思っている方や福岡県内の里山や無名山に興味関心がある方々向けて情報発信したいと考えている。 福岡県の低山・里山・無名山以外にも駅舎や神社、コミュニティーバスなども好きである。

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