「美味しさ」とは何か?
そもそも「美味しさ」が個々違うのに、「美味しい珈琲の淹れ方」的な本の多いこと!
あのね、苦味、酸味、コク、キレ・・・それだけじゃないだろ?
不味さ、不快感、快感、覚醒、そして旨さなどなど
これらを全部合わせて、珈琲を楽しんでいるのが今の僕です。
この本のタイトルが僕的にはいちばんピッタリくる。
「楽しい」か「楽しくない」かは生きる上で案外重要なんだ。
低山歩きだって、楽しくなかったらつづいていないと思うんだ。
直感と直観
言葉の違いなんてどうでもいいと思うんだが、珈琲を飲んでいると「直感」的な飲み物だと感じるのである。
直感は「勘」ととらえている。
直観は「ひらめき」と言い換えたら受け入れやすい。
珈琲の味をYouTubeなどで、コーヒー関係者が言葉巧みにうまく表現しているが、彼ら彼女らは「美味しさ」を伝えようとしている人と「楽しさ」を伝えようとしている人に分かれる。
視聴している僕らも美味しさを求めているようで、実は楽しさを追求していることには無意識なのである。
直感的飲み物である珈琲を言語化することは難しい。
表情や雰囲気で表現するほうが伝わりやすい。
「楽しさ」が「美味しさ」になる
ドリップだとかエスプレッソだとか
カリタ式だとかメリタ式だとかハリオ式だとか
粗挽きだとか中挽きだとか細挽きだとか
ブラジルだとかエチオピアだとかモカ(イエメン)だとか
珈琲歴3ヶ月の僕は、そのバリエーションの多さにうんざりするかと思ったが、そのうんざり感を「楽しみ」に変換しつつある。
そして、ここからが今日話したいことなんだが。
豆を選んで、豆を挽いて、蒸らして、淹れて、少し冷まして、香りを嗅いで、飲む。
このプロセスを「楽しむ」ことを「美味しさ」と言うのだと感じてきている。
粉珈琲にもドロップバック珈琲にも手軽さ時間の短縮はあるが、この豆を挽いてから時間空間の「楽しさ」や「美味しさ」は豆からには到底およばないだろう!
喫茶店やコンビニで飲む珈琲には、楽しさや美味しさの代わりに「ホッとする時間」があるんじゃないだろうか。
そんな気持ちで珈琲遊びをしているのが今の僕です。
追記
実は最初、「珈琲とは直感的飲み物である」というタイトルで書きだしたのだが、直感的なのか直観的なのかわからなくなった次第。
珈琲の味覚は論理的でないことから「直感」的飲み物だと決めつけたが、これもイマイチだと思っているとき「珈琲は楽しむ飲み物だ」というフレーズがひらめいたんだ。
このひらめきが「直観」である。
日本語はおもしろいなあ。