山歩きの始め方

シャリバテ体験記(曽我丘陵)ー後編

いやな予感

ここ曽我丘陵には浅間山(せんげんやま)、不動山、曽我山、高山という4つの山マーク(ランドマーク)がある。

しかし、食料・行動食を持っていないという不安とすでにここまでの疲労から、分県登山ガイド『神奈川県の山々』の曽我丘陵①だけで帰ろうと考えた。

つまり曾我丘陵②を捨てる計画に変更しようと。

予定変更のことは、はっきり記憶している。

ガイドによると上大井駅→浅間山→不動山→下曽我駅までが3.2キロ、歩行時間3時間15分と書いてあったからだ。

この弱気を「シャリバテ(ハンガーノック)の前兆ととらえる能力はまだもっていなかった。

その上、このガイドの時間と距離を軽く見た傾向がある。

「わずか3キロ」「わずか3時間」

いやな予感をもちつつもYAMAP地図とガイド本をたよりに歩き始めたのである。

ハンガーノックで歩けなくなる

季節は2月早春である。

曽我丘陵の早春は梅の花が咲きみだれ、一足早い春を告げるかのようなのどかなのどかな昼下がりの道を歩いていた。

空腹を感じて飲料水を飲むのだが、体調が思わしくない。

歩くのがつらい。

一歩一歩がなんとも重い。

道端に座りこんだ。

2015年と2017年の熱中症体験は頭に浮かばなかった。

熱中症と症状が似ているとは感じた。

少し歩いてもまた歩けなくなり、車のない駐車場に寝転ばせてもらった。

木陰の道でも歩けなくなってきた。

その時の気分?

シャリバテもハンガーノックも知らないし、症状もわからないから、「おなかがへった」「なにか食べたい」が正直な気持ちだった。

フラフラする、朦朧となる、歩けない、体がだるいという症状はあっても、熱中症のとき感じた「死ぬかもしれない」はなかった。

何か食べたい!

それだけだった。

水を飲むしかなかった。

今から考えると、お菓子、チョコレートのひとつでも持ってればあの症状は体験せずにすんだと思う。

四季の里のどら焼きに救われる

活動日記には「途中の四季の里でどら焼きを買ってなんとか飢えをしのいだのがポイントだった」と書いている。

シャリバテ(ハンガーノック)を知らない時だから、その時の症状を「飢え」と書くしかなかったのだ。

なにか車でこれるような公園的な場所(おおい夢の里)に着いた。

そこの大井町農業体験施設「四季の里」というのがあったので飛び込んだ。

おにぎりかパンかバナナか饅頭を期待して入ったが、あるのはお野菜ばかりだった。

野菜をかじることも考えたが、片隅にどら焼きを見つけて買った。

テーブル椅子に座らせてもらい、むさぼり食ったと活動日記には書いている。

正直言うと今「四季の里」のあたりのことを思い出そうとしても思い出せない。

飢えと空腹、シャリバテ(ハンガーノック)状態で文字が読めなくなり、景色が見えなくなるらしい。

かなりの時間を「四季の里」で休んだ。

それから

「四季の里」で買ったどら焼きと飲み物をザックにつめて、先を歩いた。

浅間山(せんげんやま)も不動山もなんなく過ぎて六本松跡で悩んだ記憶がある。

下曽我駅に向かうか、国府津駅に向かうか。

結果、国府津駅に向かっている。

羽田空港から最終便(多分20時)で福岡へ戻るわけだから、19時までに羽田に着けばいいという感覚からだったと記憶している。

あと、再び曽我丘陵を歩くことはない。

ならば、全行程を歩いておきたいという欲からだった。

16時14分、国府津駅(こうづえき)に着いている。

12・7キロ4時間30分の曽我丘陵縦走を終えている。

シャリバテ(ハンガーノック)の対策としては

  1. 食料・行動食の確保
  2. 自分の体力に無理のない計画
  3. 事前の体調管理(炭水化物中心の食事)

3の体調管理のことをカーボローデイングというそうだが、詳しくは知らない。

簡単にいうとうどんパスタなど炭水化物中心の食事をとって登山にそなえるのだそうだ。(詳しくは自分で勉強してください)

おしまい。

 

 

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コックン

2014年12月(当時59歳)に近場の低山歩きを始めた。 これから山歩き(登山)をはじめようと思っている方や福岡県内の里山や無名山に興味関心がある方々向けて情報発信したいと考えている。 福岡県の低山・里山・無名山以外にも駅舎や神社、コミュニティーバスなども好きである。

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