レスキュー隊を待つ時間あれこれ
「その場所から動かないでください」
119番の相手の方の言葉はしっかり頭に残っていた。
最後に撮った写真がこれである。
19:25と記録されている。
レスキュー隊に救助されるまでを記憶をたどりながらメモしておく。
- 服装は長袖のシャツ1枚である。
- タオルは持っていたが、雨ですでにずぶ濡れ状態。
- スマートフォンを雨から守る袋など持っていない。
- リュックサックを枕にして横になったことを憶えている。
- 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」を朗読した。(数回)
- 井上陽水「夢の中へ」を歌ってみた。(数回)
- 家族が寿司を食べていることを想像した。
携帯電話(スマホ)のこと
電池残量は42%だったのが最後に確認した時は30%になっていた。
何よりも画面が雨に濡れて、反応しにくいのがいやだった。
119番、110番、自宅へ電話できただけでも幸運だった。
携帯を雨から守るビニール袋は必要だ!(今はザックに常備している)
また充電器を持つことの重要さを痛感したのもこの時だ。
携帯の充電器、携帯専用のビーニール袋、眼鏡の予備、手袋の予備などを今は必ず持って行動しているのは、この時の体験があるからだ。
待つ時間の「武器」
レスキュー隊を待つ。
昼間は働いて疲れているわけだから眠くなった。
異常な事態であっても「待つ」というのは退屈だった。
雨に濡れて体温がさがるのを感じたが、やはり眠くなった。
まわりは闇だから、視覚的な恐怖感はなかった。
雨音が強いから、物音に対する恐怖心もなかった。
眠気を防ぐために二つのことを試みた。
ひとつめが宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」の朗読である。
僕はたまたまこの詩を暗記している。
ゆっくり読んでも1回5分もかからない。3回読んだらあきてしまった。しかし、元気をもらえたことは確かだ。詩は生きるための武器になる。
次は歌だ。理由はおぼえていないが選んだ曲は井上陽水の「夢の中へ」だった。
歌も生きる上での武器だと感じた。
しかし、暗闇に向かってひとりで歌うのって、一人カラオケよりもはるかにむなしいと感じたよ。
とにかく時間がたたない。
しかし、「今何時だろう?」と思ったり、時計をみた記憶がない。
もちろん、ザックに入れたスマホを再び取り出すこともしなかった。
頭で思っていたこと
このまま眠って、あるいは朝まで待って、朝になってから下山すれば、できるんじゃないだろうか。
この考えはくりかえし心にわいた。
レスキュー隊に救助されなかった場合の最悪のことも考えていたんだろうと思う。
翌日の仕事が早出で6:30出勤だった。
6:30出勤は無理じゃないだろうか?いやシャワーあびて6時に家を出たらなんとか間に合うだろう・・・
これも考えていた。
翌日仕事を休むという発想はなかった。
不思議である。今の僕なら即明日は休みだと思うだろうに。
結論は「死ぬかもしれない」という不安感はなかったということである。
とにかく「家に帰る」「明日は仕事にいく」それを考えていたということかな。
ほかにもあれこれ考えていたんだろうが思い出せない。