自力での帰還を諦める
転落後、自宅(妻)に電話をして「遅くなる」と言った。
その時は、まだ自力で帰る気持ちだった。
しばらくさまよいながら、「これは自力では戻れないかも」と思う瞬間がきた。
この時点での心理を整理しておく。
- 119番に電話すればのかな?
- 自宅裏山で遭難は恥ずかしなあ・・・
- これ以上歩いても十三仏ルート登山口まで戻れるという確証はない(これが一番大きな諦める要因だった)
- 眼鏡はないし、視界が見えない
- 転落した時の傷や打撲の痛みは、興奮とか緊張とかで麻痺して感じない(救急病院でそのその傷や打撲を知るまでは)
・・・
・・・
「連絡するかしないか」をまだ迷いながら歩いていた。
自力での帰還を諦める
「諦めがはやい」というのも助かる重要な要素なのかもしれない。
「自力で戻るのは無理だ」と思った瞬間、落ち着いて避難できる場所探しをした記憶がある。
下のYAMAPの軌跡図および活動タイムや距離を見ると、まだわずかなんだが、転落と迷走し、救助を求めようという人間にとっては、時間や距離は関係ない。
とにかく「なんとか生きよう」「生き残るための最善策を考えよう」そんな気持ちだった。
YAMAP地図に残っている軌跡図を今よく見ると、北峰まわりをぐるりと回ってから南峰に向かっている。
北峰山頂のまわりを迷走するだけでも、今となってはちょっと信じられな感じだが。
やがて南峰をへて転落地点までが軌跡には記録されている。
Gポイントが移動を諦めて座り込んだ場所である。
さて、ここからレスキュー隊に救助されるまでのことを書いていく。
避難場所に選んだ場所
背後に大きな岩があるような感じだったが、後日、現場付近を確認しても岩などはない。
急斜面が岩みたいに感じられたのだろう。
座った場所は狭いながらも体を少しは伸ばせる感じだった。
そこでしたことを記録しておく。
- 119番に電話
- 110番に電話
- 自宅(妻)に電話
その前に、小ザックに入っていたものは、ペットボトル500mlの水(半分は飲んでいた)、タオル、懐中電灯、ヘッドライトくらいだった。
実は、「城ノ越山をなめていた」と思うのが、この小ザック(リュックサック)に1時間で戻るからと、いつものザックから選んで軽くしていたのである。
このことを、避難所でいやというほど後悔することになる。
レインウエア、行動食、その他もろもろが車の中のザックには入っているのである。
唯一の救いは懐中電灯とヘッドライトをもってきていたことである。
119番への電話
「事故ですか?事件ですか?」
「事故です」
「どうされましたか?」
「山で転落して遭難しました」
「ケガされていますか?」
など119番の方との電話をするなかで確認されたことは、
- 「体の状態」
- 「水はあるか」
- 「非常食(行動食)はあるか」
- 「携帯電話の電池残量(確か42%だった)」
- 「警察と自宅に電話をしてください」
- 「携帯電話の電源消耗を避けるため電源を切ってください」
などだった。
場所の確認をするときのことを詳しく記録しておきたい。
「Google地図とかわかりますか?」
「今、Google地図を見ているんですが、画面に地図はでてなくて、青い点があるだけなんです」
「それでは、その青い点を長押ししてください」
「はい、やってみます」
「画面に数字みたいなのが出てきませんか?」
「あ、出てきました」
「その数字を左側からゆっくり読み上げてください」
「はい。33.656998・・・」
やたら長い数字を読み上げたら
「山田さんの場所がわかりました。そこを動かないでください。今から救助に向かいますから」
「よろしくお願いします」
「懐中電灯とか笛とかお持ちでないですか?」
「笛は持ちませんが懐中電灯は持っています」
「私たちが名前を呼びますから、それが聞こえたら懐中電灯をつけてふりまわしてください」
「わかりました」
「少し時間はかかりますが、眠らないように気持ちをしっかりもって待っていてください」
そんな会話をしたと思う。(正確な会話ではない)
110番と自宅にも電話
110番の電話内容はおぼえていない。
自宅には、裏の城ノ越山で転落して、今119番に電話して救助を頼んだところだと、ありのままを伝えた。
この日、我が家は三男家族がきて、お寿司をとってみんなで楽しく夕飯を囲む予定だったのだが、寿司はこのとき諦めるしかなかった。