死ぬかもしれない
ベンチで感じたことは、「死ぬかもしれない」だけだった。
このまま死んだらどうなるんだろう?
考えた。
- YAMAPで軌跡はわかってるし、GPSは機能しているから死体は発見されるだろう。
- ここで死んでいたら、次に登ってきた人が発見してくれるだろう。
- 妻には「低い山では死なんでね。恥ずかしいから」と言われているのに低い山で死ぬかもしれない。
- 海の風景がきれいだなあ~
生きるか死ぬかのはざまでも風景はきれいだった。
が、今は生き延びるか生きることを諦めるかの瀬戸際なんだ。
ベンチの熱が背中には痛いくらいに熱い。
と、そのときひとつの奇跡が起きた。
ザックの中に熱さましシートを入れてることを思い出したのである。
額、両頬、首の後ろにはった。
(本当は脇下とか太ももとかリンパが集まってるところにはりたかったが、数が足りなかったんだ)
少しのひんやりも、非常時では全然違う!
過呼吸はおさまり、気分が少し落ち着いたら、「生き延びよう!」と先へ歩くことを決めたのだ。
二つ目の奇跡が起きる
下山を選択せずに未知の山頂へ向かったのはなぜかわからない。
深くは考えずに「生きよう」と行動しただけにすぎない。
朦朧とした頭でゆっくりゆっくり歩いた先に奇跡が待っていた。
小さな祠があったのである。
普段、神社に参拝しても賽銭を入れたことがない僕がである。
神様の力にすがってでも生きたいと思ったことは明らか。
小銭入れから5円玉をみつけて投げ入れている。
(この窮地におちいりながらも1円玉か5円玉か悩んでいるのが情けない)
今思えば「100円玉でも10円玉をあるだけでも賽銭箱に入れろよ!」と自分に言いたい。
賽銭箱に5円玉を入れた僕は、祠の前で力尽きて再び地面に寝そべったのである。
大きな岩石とシダの間にかすかな日陰があったからだ。
奇跡は「日陰」とそこに吹いてきたかすかな「風」だった。
風の力
台風も嵐も竜巻も怖い!
しかし、熱中症の時の微風(そよ風)はいのちを復活させてくれた。
神風が吹いたようだった。
心が体が癒されていくのである。
水が体中にしみわたってった。
アクエリアスが細胞を目覚めさせてくれた。
「生き延びるぞ!」と思った瞬間、頭のそばで2匹の蜂の飛ぶ音。
もう少し休んでいたかったが、蜂の羽音にビビって起き上がり、一気に山頂までいった。
熱中症のまとめ
YAMAP活動日記には「頂上に挨拶しないまま先の道へと歩いた」と書いている。
立石山の山頂は三角点もあり、山頂標識も立派なのがあり、眺望もあるんのだが、まったく無視して先へ急いでいる。
たぶんまだ熱中症の症状はかすかに残っていたのだろうが、反対側の南東に向かって下山している。
直射日光と倒れた(寝そべった)場所を再び通るのがいやなだけでの判断だったのだろうか?(谷正之さんの本の案内図通りに歩いたのだろうと思う)
下山した時も「生き残った」という感覚はあったが。
車までは油断できないぞ的な自分の体調に気をくばりながら歩いたのをおぼえている。
なんとこの2015年7月はこの立石山熱中症体験をひきずって低山歩きをまったくしていない。
なんと翌月の8月10日の三日月山(午前5時から)までは歩いていない。
いかに後遺症が残っていたか。
その間、熱中症対策を練っていたのだろうと想像する今である。
以上で立石山でも熱中症体験記を終わります。