お礼を言いたくても・・・
レスキュー隊員の方たちにもそうだったが、救急車隊員の方々にもお礼を言えないまま、気づいたら病院のベッドにいた。
今後、遭難してレスキュー隊員の方々や救急車隊員の方々にお世話になる人は心して聞いておいてほしい。
お礼を言うなら、早目に、言える時言っておいたほうがいいよ。
あとで悔いが残る。
「いのち」を助けてもらいながら、命がけで救助してもらいながら「お礼」が言えないのはなんともせつない。
この場をかりて深く感謝し、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。
そして本当にありがとうございました。
あともう一つ。
救急車の中では救急車隊員の方の指示に従うことを強く言いたい。
間違っても「このまま自宅まで送ってもらえませんか」などという自己中心的なわがままを言ってはいけない。
病院にて①
医者に言われるままに素直にレントゲンやMRI検査などを受けた。
下着(パンツ)が汚れていたために、紙パンツをすすめられたのは救急車の中だったか、病院だったか忘れた。
紙パンツに抵抗があったのか、断った気がする。
※その後紙パンツを買って、試着して山歩きをしている。その活動は後日書こうと思う。
二人の美人看護師さんが傷の手当てをしてくださった。
一番憶えているのは右手の親指の付け根の部分の手当てだ。
転落した際に様々なところを負傷していたんだが、親指の付け根は深い切り傷で、その中に泥や砂が入っていたらしい。
それを出す手当てがすごく痛かった。
「めちゃくちゃ痛いですよ」
「痛いと思いますよ。泥や砂を全部取り除きますから」
「手術みたいじゃないですか」
「手術ですよ」
「麻酔してくださいよ」
そんな会話をしていたら、妻と三男の妻が病院にやってきた。
病院にて②
「今晩より、明日からいろんなところが痛くなると思います」
医者の言葉はその通りだった。(翌日、2日、3日目と痛みは広がっていく感じだった)
看護師さんにはお礼を言った。
看護師さんにお礼を言えたことだけが唯一の喜びだった。
病院にいったいどのくらいいたのかもわからない。
妻と三男嫁も長い時間待っていてくれた。
妻が手続きをすべてしてくれた。
いざ、すべてが終わるときは睡魔におそわれた記憶がある。
帰宅まで
三男嫁の車で香椎台の十三仏ルート登山口に駐車した車のところまで送ってもらった。
何時なのか記憶にない。
運転はできたから、自分の車で帰宅した。
ケガはしていても空腹は空腹だった。
義母が心配そうな顔でむかえてくれた。
テーブルの上のお皿には、僕のためのお寿司が少し残してあった。
お風呂に入った。シャワーをあびただけかもしれない。
とにかくきれいになりたかった。
具体的には憶えていない。
とにかく翌日は早出の6時半出勤だったから急いで就寝した。
翌日の仕事には出かけている。
今から思うと休んでもいいのにと思っている。
(つづく)
※写真はすべてイメージ写真です。