遭難とは
遭難とは、生命にかかわるような災難(危険)にあうことである。
特に山や海などにおいて、生命を失うような危険にそうぐうすることを言う。
なぜこの遭難事故を書くのか?
標高180mの城ノ越山で滑落してレスキュー隊に救助された出来事であるが、
その中には特に登山初心者(登山歴2年目3年目)にありがちな
遭難(死)につながるもろもろの要因があると思っているからである。
ありがちな油断
僕が起こしたこの転落事故を遭難事故と呼んでブログに書き残す意義は、この「ありがちな油断」を伝えたいからである。
事故をありのままに記録できるのは事故に遭遇した者のみである。
事故という結果には、そこに至る原因がある。
5年前の出来事であるが、ふりかえりながら、城ノ越山滑落事故を検証していこう。
なぜ、城ノ越山へ?
三日月山や立花山は「山」だったが、自分が住んでいる裏山に「城ノ越山」という名前があることも、歩いて登れることも知らなかった。
最初に知ったのは、西日本新聞社発行滝澤昭正著『福岡県無名山301山見つけようふるさとの山河』である。
2001年9月かなり苦労されて十三仏ルートで歩かれている。
「あ、僕でも行ける!」と確信したのは、YAMAPでの活動日記だった。
香椎に住む親子(父親と小学生低学年)が夕方散歩がてらに城ノ越山まで歩いたという記録を読んだのである。
「夕方」「親子」「散歩」・・・この言葉を集めて「僕でもいける!」と確信をもったのである。
城ノ越山180メートル。山頂まで片道30分弱。1時間あればピストンできる。
この「180m、片道30分」これは計画のようであるが、これが油断の原点だった。
登った夕方のこと
「山田さん、今日は少し早くあがっていいですよ」道口課長から電話がきた。
仕事をしていたのだが、急に早く仕事がおわることになった。
ヨドバシカメラ博多店に行こうと思ったことを記憶している。
するとパラパラと小雨が落ちてきた。
雨が降り出すと、夏のメマトイやアブや藪蚊がいなくなるのをなんとなく体験していたために、その小雨を見ながら「城ノ越山へいこう!」という思いが頭に浮かんだ。
時計は16時。登山口まで30分。17時から歩いて18時には戻ってくる。
頭の中での時間的計画は立てられた。
2016年9月17日。
これから起こる事故を想像することはまったくできなかった。
つづく
かなりこまかいことを書いていきたい。
事故につながるもろもろの要因をきちんと整理して検証しておくことは、まだ事故にあっていない人にとっても疑似体験ができる貴重な記録になるかもしれない。
よって、「検証!城ノ越山転落事故」というタイトルで10話くらいで書き残しておきたい。