低山歩きは歩くことよりも立ち止まることが大切
山を歩くんだから歩くことに心は集中している。
それは初心者お僕らには当然の心理である。
しかし、そこの失敗、危険、反省点がたくさんある。
休憩(体を休める)、水分補給、行動食、衣服の調節などでは、立ち止まるからそれでいいと思うのが初心者(僕の)浅はかさだと何度も知る体験をした。
分岐点、ピーク(特に小ピーク)では立ち止まり、あたりを観察する習慣をつけるべきだと今は感じている。
できれば、地図とコンパスを使って、現在位置と向かっている方向に間違いはないかを確かめるのが理想であるが、初心者の僕らにはそんな能力も余裕もないのが実情である。
立ち止まるメリット
低山縦走などでは体力の維持のためにも立ち止まり、ペースが速すぎていないか?自分の今日の体調はどうか?問いかけるのも重要だと僕は考えている。
65歳という年齢的にも、いつ脳梗塞や心筋梗塞で突然倒れてしまってもおかしくないのだ。
そして単独ソロ・・・。
倒れることや死ぬことを前提に低山歩きはしていないのだが、万が一を考えた場合にもこの「立ち止まり」は有効である。
写真を撮るときの立ち止まり、水分補給の立ち止まり、休憩の立ち止まり、感傷に耽る立ち止まり、過去の恋をふりかえる立ち止まりと様々な立ち止まりはあるが、僕が伝えたいのはその立ち止まりではない。
道迷いから滑落事故を防ぐ「立ち止まり」
有名山には登山者が迷わないための道標や案内プレート等が充実している。
しかし、低山、超低山、無名山、里山、裏山にはそんな標識はない。
何度も歩いて知っている山、子どもの頃から慣れ親しんだ山とかならいいかもしれないが。
はじめて歩く低山などでは必ず道迷いをする。二度目の山でも迷うことがある。
この道迷いをしたら引き返すと登山マニュアル本には書いてあるが、間違いに気づいたら引き返す可能性はかなり高いだろう。
「思いこみ」という心理は間違いに気づかないのである。
道迷いの先には必ず危険が待ち受けている。
それはゾッとするような場面(崖など)に出くわす。
戻ろうとしても坂が急だったり、泥が滑ったりで、どんどん体が滑り落ちていく場合だってある。
これらの危険を避けるのが「立ち止まり」である。
複数ある分岐点、小ピーク、ちょっとした広場、こういう場所は安易に思いこみで進まないほうがいい。
とにかく、立ち止まり、地図を確認して、その場の様子をじっくり観察する必要がある。
まとめ
今日は難しい話をしてしまった。
「立ち止まり地図を開き進む方向がいいかどうかを確かめる」と簡単に言うが、今でもそれができないのだ。
特に勢いで歩く下山では、いつの間にか獣道を歩いている場合だってある。
ま、難しい話ではないのだが、実践となると難しい「立ち止まり」が低山や無名山の山歩きではかなり重要だということを頭の片隅に置いていてほしい。
今の僕へのメッセージでもある。