神功皇后の妹
神功皇后に妹がいたなんて知らなかった。
ここ淀姫神社にきて知った次第。
別名「豊姫」
ただし記紀(古事記、日本書紀)には出てこない謎の多い姫神さまだそうな。
なぜ?神功皇后の妹が佐賀に?
沙迦羅龍王(さがらりゅうおう)から二つの玉を借りて新羅へと向かうのだが
住吉の神から武内宿禰を通して豊姫(淀姫)を遣わしたまえと神託がある。
ま、記紀にもないような話をどう説明したらいいかわからないのだが
とにかく美人だったそうで、
その美貌で沙迦羅龍王から玉を借りようという狙いだったらしい。
淀姫伝説
武雄市朝日町の淀姫神社にいるのだが、
「淀姫伝説」はこの地以外にも佐賀市、伊万里市、松浦市などこの界隈に多く残っていてびっくりする。
淀姫命(よそひめのみこと)を祀る神社が数多く存在している。
どうやら北部九州全体が「海の民」であり、「海神」を祭神として祀っていたことによるものらしい。
淀姫は竜宮城へ行っている。
また、武内宿禰の妻だったという伝承も残っている。
が、病を患い武雄温泉で療養したが、22歳で亡くなっている。
亡くなった場所が、ここ武雄市朝日町の淀姫神社である。
淀姫神社にて
淀姫神社で頭に浮かんできたのは、2011年に訪れた三浦半島の浜諸磯にある小桜姫神社のことだった。
僕が「神々への旅」をスタートしたのは、あの2011年の小桜姫神社が最初だったのかもしれない。
何か不思議と淀姫さまと小桜姫さまが同じような感じで思えてならなかった。
時代的には小桜姫さま14世紀の姫だから淀姫さまの1000年後のこととなる。
34歳で亡くなっている。