黒髪山という思い出
1969年3月、急性虫垂炎(盲腸)の手術をした。1週間の入院、1週間の自宅療養?だったかな?2週間だったかもしれない。ちょっと忘れた。
とにかく、まだ盲腸手術の痛みがかすかに残っているところに、山代中学校1年1組でお別れ遠足で黒髪山に登ることに決めたと連絡がはいった。
「無理だぞ」と思いながら結局は歩いた。
中学1年生のガキどもがどの駅でおりて、どこから歩いたのか思い出せない。
おそらく竜門ダムか有田ダムかのどっちからだろうと想像する。
ちんたらちんたら田舎道を歩いた記憶だけは残っている。
「コックン、大丈夫や?」
「やっぱし、少し痛か」
ヨシローの顔しか思い浮かばない。ま、記憶なんてそんなもんだろう。
翌年1970年中学2年生のおわりにも再び登っていて、その時の天童岩での写真が残っている。
学生服に運動靴という服装が写真に残っているのが参考に?なる。
あの黒髪山独特の最後の鎖場にビビった記憶がある。
リュックサックとか持っていたんだろうか?
水筒とか持っていったんだろうか?
財布も持っていた記憶がないんだが・・・。
ま、過去のことだ。思い出だけが残っているということにしよう。
高校時代も登っているが写真は残っていない。
17才(1978年)を最後に黒髪山は2015年まで僕の思い出の湖に深く沈んで待ってくれることとなる。
黒髪山系のなかで最も低いのに主峰
黒髪山系にある青螺山(せいらさん)や牧ノ山よりも低い山なのに、登山コースは整備され、山頂の天童岩からの眺望がいいためか圧倒的に人気があるようだ。
半世紀前の少年だった僕らがその名前を知り覚えたくらいだから。
悲恋物語や大蛇退治伝説などがあるのは聞いていたが、深入りしていないのでここでは省略する。
とにかく500m級でこれだけの楽しさ、ドキドキワクワク感を与えてくれる山もそんなにたくさんはないと思う。
低山歩き1年生の2015年に黒髪山を歩いている
低山歩きをはじめて10か月目に黒髪山を選んでいるようだ。
少年時代に歩いた山だからというなめた気持ちが働いたのか、ふるさとの山をもう一度歩きたいと感傷的な気持ちからだったか今は思い出せない。
少年時代との違いは「ひとり」であるということと、登山靴をはいているということくらいかな。
乳待坊という駐車場からが一番近いと判断して歩いた記憶はある。
それなりの緊張感はあった。
「分県別登山ガイド佐賀県」を参考に歩いたんだと思う。
まだ三角点の認識もなく、ましてやYAMAPの使い方もかすかに理解しはじめていた頃だ。
今から思うと、不安材料はたくさんあったと思うが、とにかく「ひとり」で歩いてもどってくる!それだけしか考えていなかった。
あ、それともうひとつ、これが最後の黒髪山になるという意識は強かった。
そして2021年の黒髪山へ
友人夫婦が山歩きをはじめなかったら、再び黒髪山を歩くことは考えなかったと思う。
初心者の友人夫婦に山歩きの基本を教えるようなお節介な気持ちが働いていたのは確かだが。
結局、友人夫婦から喜びや嬉しさやしあわせをもらっているのは僕のほうだった。
まとめ
わかったことは、中学1年生のときも友達に誘われて盲腸手術で痛む腹を我慢して歩いたように、今回2021年の黒髪山も友人の存在がないと歩いていないということだ。
ま、そういうことに気づいただけでも低山歩きの価値はある。
むしろ、「山を歩く」ことだけでなく、何かを「する」ということは他者とのつながりの中でしか成立しないのかもしれない。
あ、自分中心的な文章になってしまった。
おしまいにします。おつかれさまでした。
コメント
コメント一覧 (2件)
これをキッカケに友人ご夫妻が山歩きが好きになってくれるとイイですね。
そう願っていますが、いちばんしあわせをもらっているのはぼく自身だと感じています。