「noboro」編集者O氏から電話
2020年12月中旬、西日本新聞社の季刊誌noboroの編集者から電話があった。
僕が読者プレゼントに出していたアンケートを読まれて、電話されたそうだ。
要件は「城ノ越山を案内してもらえませんか?」だった。
コロナの影響で記事にする予定だった企画が無理だとなり、低山特集を考える中で城ノ越山が浮上したそうだ。
僕が城ノ越山を案内するのは適任かどうか少し考えたが、全部の尾根道ルートを紹介するのは無理なので、ま、僕でもいいかと思った。
気になることは・・・
気になることは、季刊誌に紹介されることで、人が増えるのは城ノ越山愛好者には迷惑だろうと感じた。
しかし、同時に数年前までは、無名山同様の城ノ越山が紹介されることへの嬉しさも感じた。
2003年発行された滝澤昭正著「福岡県無名山301山~見つけようふるさとの山」以来の城ノ越山の本への掲載だと思う。
18年前の「無名山301山」には十三仏登山口からの十三仏ルートのみが紹介されているが、今はほとんどの人が敬遠するようなルートだ。
城ノ越山の案内
1月年明けすぐに計画してたが、僕が、年末佐賀県の白石山で半月板を負傷したので、延期してもらい、1月下旬に案内した。
一番無難な「三日月橋ルート」で北峰と南峰を案内した。
宮崎セイオさんも付き合ってくださった。
また、南峰山頂ではマリオさんというベテランの方もたまたま登ってこられて、話がはずんだ。
3月中旬「noboro」発売
1ページの上半分というわずかなスペースであったが、城ノ越山の名前が「noboro」登場したことは、まぎれもない事実である。
僕のその時の姿写真が1枚と、実名、年令が出たことには少し抵抗があったが、ま、ハンドルネームの「コックン」でも実名でもどうでもいいや!という気持ちになったのは成果かもしれない。
「noboro」が発行されてから以後、僕は城ノ越山から足が遠ざかっている。
暑くなる前に、もう一度歩いておきたいと思っている。