メモ帳をもっていますか?はい、持っています。いいえ、メモはしません。スマホに記録します。スマホに録音します。さまざまな職種や仕事内容や生活スタイルによって「メモをする」という行為は違うのだろうが、共通して言えることは老化によっての「物忘れ」に対処するためには、とにかくメモすることが必要となってくる。そばに秘書がいるような職種の人はメモをするなんてのは秘書がするわけだろうが、それでもやはりメモをしているのである。
今、僕は100円ショップで買ってきた小型のメモ帳をリビング、枕元、車の中、ザックの中などあらゆるとこに置くようにしている。あまりに多すぎると、どのメモ帳に何を書いたか忘れて混乱する。で、リビングなどパソコンのそばには大学ノート型のノートに大きな文字でメモするようになった。これは今のところかなり役立っている。
メモ帳について「使い方はこうだ!」という考えは持っていない。ビジネスマンとかがそういうHOW TOは詳しいのイだろうが、僕はただ単に持っているだけに過ぎない。何をどうメモしているかだけをありのままに書いておく。①登山計画は大学ノートメモ帳に書く。活動計画、だいたいの時刻、持っていくモノなど書き出す。このメモノートは登山に出かける朝、もう一度見直すようにしている。②ザックの中の小型メモ帳は、登山途中に湧いてきた言葉(できたら俳句とか川柳とか短歌をメモしたい)を書くためにすぐ取り出すポケットに入れている。バス移動や電車移動の時、この小型メモ帳は一番役立つ。575などにこだわらず、とにかく降ってきた言葉を書きまくる。③スマホアプリのカラーノートに書く場合もある。ついつい忘れてしまいそうなことなどを即メモするのにはこのカラーノートが便利である。④システム手帳には知人友人の住所などをはじめとするその他もろもろを書いている。時々システム手帳のノートを買い足して新たに書き直すようにしている。
こんなふうにメモ帳が必要になってきたのは、物忘れを感じ始めた頃からだ。実は。このブログ記事を書いていることそのものが物忘れ的認知症対策のつもりなんだ。ブログ記事だから「公開」を押した途端に全世界へ発信される。SNSの怖さはスシローの出来事でもわかっているつもりだが、まだよくわかったいないのかもしれない。「ワンクリックで人生が破滅。我々はそんな時代に生きている。そのことを肝に銘じ、ただただ己を律するしかない」という文書を読んだ。認知症がすすんだら、「己を律する」こともできなくなるような気がしている。ならば、いまのうちからブログ記事なんてやめて、静かにほかの趣味をさがすべきじゃなのだろうか。
人間には不思議なことに間違った方向へ方向へと進んでいく傾向がある人が多いのではないだろうか。健康に悪いとわかっていてもタバコがやめられない、体に悪いものをより食べたく食べたくなり病気に向かっていく。これらはストレスというものを避けようとした場合に生じる行動のような気がする。
書きながら、何を書きたかったのかがわからなくなってくる。そんな時もあるさ、と油断していたら本当にわからなくなってくるののかもしれない。