挽いて淹れるだけなんだが
珈琲豆を買ってきて、ミルで挽いてハリオV60で淹れるだけのことなんだが、これがなかなか楽しいじかんだということがわかってきた。
この面倒くさい一連の作業の結果、あの香り、あの舌ざわり、喉ごし、温度が下がるにつれての甘味・・・なんとも不思議な液体の飲み物と出逢ってしまったものよ。
豆を挽いてから淹れて飲む珈琲を珈琲の基準としたら、ドリップバックコーヒーとか粉になったコーヒーとかは、「珈琲もどき」と言うしかないことが今の僕の正直な感想である。
わずか珈琲歴3ヶ月のお前に、そんなに簡単に珈琲のことがわかってたまるかという意見もあるだろうが。
珈琲って考えたら、案外単純なんだと思う。
同じ珈琲を飲んでも、人によって味の受け止め方が違ったり、好みの濃さ薄さが違ったりと、人の数だけ、どうも味があるようだ。
粉珈琲とドリップバックコーヒーの飲み方
結論を言うと粉からの珈琲もドリップバックコーヒーも珈琲ではない。
豆からの珈琲を越える粉珈琲やドリップバックコーヒーがあるなら教えてほしい。
じゃあ、粉珈琲とドリップバックコーヒーが発明され、ここまで進化してきたのは、やはり「豆を挽く」というあの面倒くささを、日常の暮らしの中では省きたかったんだろうと想像する。
粉珈琲もドリップバックコーヒーも「淹れる」という工程はある。
しかし、珈琲初心者の僕でも明らかなある事ことに気づくのだ。
それは淹れる時、粉が「膨らむ」ということである。
膨らむ=美味しいとは限らないそうだが、あのドーム型キノコ型の膨らみは、珈琲初心者の僕には魅惑的だ。
豆を挽いたすぐの粉はキノコのようにむくむくと膨らんでいくのに対して、粉珈琲もドリップバックコーヒーも膨らまないどころか、穴がほげていく。
生きている珈琲と生きていない珈琲の姿を見てるような感じかな。
生きている珈琲と生きていない珈琲
珈琲の好きな人って、「生きてる珈琲」を飲んでる人たちなんだというのが今の時点での感想です。
「珈琲もどき」を飲んでる人たちは、生きてる珈琲を飲む時間的な余裕とか環境がなく、仕方なく「珈琲もどき」を飲んでいるんだが、それはそれで有意義でホッとする「時間空間」を味わっているんだと思う。
僕はこの先、どんなに面倒くさくても、珈琲を飲むならば、豆を買ってきて、豆を挽いて、淹れて、珈琲の声を聞きながら飲んでいきたい。
珈琲関係のオススメな本3冊
1冊目は「ABOUT COFFEE」庄野雄治作、平澤まりこ絵。
絵本なんだが珈琲の知識や淹れ方、道具などを書いたハウツー本であるんだが、とにかく読みやすい。
タイトルからしていい!
2冊目は「おいしいコーヒーをいれるために」中川ちえ著
エッセイストであり、器と生活道具の店を営む多才な女性らしい。
この本も、読みやすくて、写真入りでわかりやすい。
3冊目は「イノダアキオのコーヒーがおいしい理由」
京都三条にあるイノダという喫茶店の店長さんらしい。
あらゆる七面倒くさい珈琲本を一蹴して「気持ちで淹れる」といいながらも、なんか大切なエキスをしっかりと話されている。
高田渡というフォークシンガーがこのイノダの珈琲をうたった「コーヒーブルース」というのを高校時代聞いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=ZEM4NliX2Zs
まさか65才になってイノダ珈琲と再会するとは・・・(笑)