好きなこといろいろ

詩集「四月の空」

2023年の4月に突入した。いちばんやりたいことをする。かけないかもしれないが、詩をかきたいのだ。「詩をかく」というのは努力したら書けるようなものではない。根性のほうが大事かもしれない。4月の間に10篇の詩を書くことを目標にする。歌詞になってもいい。とにかく「いま」を書くことができたら僕の「勝ち」だ。

母へ

「2011年3月11日、あなたは何をしていましたか?」と問われた時、僕のなかに写真以上の記憶があった。長崎県福島町に僕らいたね。そしてあなたはこう言った。「おかあちゃんね、一度でいいけん、喫茶店で珈琲ば飲んでみたかと」「え、喫茶店に行ったことなかと?」「なかとよ」「モトーリの店があるけん連れていこうか?今から行こう!」「今日はよか。次あんたが楠久に帰って来た時でよか」福島の桜が咲くには少し早い3月11日だった。母と僕はまだ咲かない桜並木の中を走っていた。それから海岸線に車をとめてソフトクリームを食べたよね。そのあと帰宅してテレビをつけて「東日本大震災」を知ったんだ。喫茶店にいく約束も福島の桜を見る約束も果たせなかったけど、そちらの喫茶店で珈琲を飲んで、桜も見てるんだろう。

洗濯物がまわっている。洗濯物がゆれている。そのまわりを山田桜が舞っている。芝生の緑が輝いている。明日鹿児島から二男が来るので、妻は二男を泊めるための準備をしている。僕は詩をかいている。妻は冬服をなおしはじめている。僕は詩をかいている。妻は二階への階段を上がっている。僕は詩をかいている。洗濯物はゆれながらまわっている。僕は詩をかいている。芝生のうえに雀がきた。僕は詩をかくのをやめて雀をながめている.(2023.4.1)

酔う

リズムをつかめばこっちのもの 少しは先に進める 気持ちはワクワクする 自分に酔う 自分に酔えばこっちのもの 思いは勢いとなればいい ことばは思いに従えばいい 酒に酔えないが自分に酔う 孤独か孤独でないかわからない 自立しているかしていないかもわからない とにかく酔うことである そのためにはリズムが要る(2023.4.1)

高橋新吉

高橋新吉を知らないまま時は流れた 雀は庭先にやってきた 烏の鳴き声も聞いた 鳩は香椎宮でよく見かけた 高橋新吉とは出会わなかった 早朝散歩をした 名子道から名子村をよく歩いた 勅使道もよく歩いた 高橋新吉とはすれ違わなかった 昔心療内科に世話になった 待合室で過ごす時間が好きだった たくさんの人が通り過ぎた 高橋新吉はみかけなかった(2023.4.1)

贈り物

出来ないことは才能である 出来ることを見つける力である 次の一歩を踏み出すきっかけである 出来ないわからないが起点である 山歩きと同じである はじめての山を歩く単独行動 不安である 不安をワクワクに変換できるか できないかがポイントだ 出来ないことは贈り物だ 逆上がりが出来なかった 自転車に乗れなかった 麻雀がわからなかった 出来ないことは 神様からの贈り物である(2023.4.1)

出来ない

出来ないことは武器である 出来ないことが武器となる 出来ないことは壁ではない 出来ないことは未来である 書けない夜は見ればいい 書けない朝は歩けばいい 書けないときは読めばいい 書けないこと以外を生きればいい (4.2)

桜のはなし

「別れるときですね」と女が言う 「また会えるよ」と男は言う 女は未来を見つめている 男は今を生きている 「歩ききましょうか」と女が言う 「甘酒が飲みたい」と男は思う ふたりの心は絡まなくなった ふたりの道は違う方向に向いていた 「なにかほしいものはない?」と女がたずねる 桜よ桜 散る前にもう一度手をつなごう (2023.4.2)

歯を磨いてうがいをする 歯を磨きながら鏡のなかの自分を見る これが今日の俺の顔か 佐賀にいってきた俺の顔か カレーライスを食ってきた俺の顔か 綾部のぼたもちを食ってきた俺の顔だ 白髪が増えたなあ 髪を染めようかなあ いやいやこのままなるようになろう 次は長崎に行きましょうか 雨の日は避けましょうね 暑くならないうちに行きましょう さあ今日は疲れた こんなものが詩になるのかなあ 詩はどうやってできたかわからない 詩は明日の朝読むとまたちがって読める 歯を磨がきおわったので パソコンをとじて寝よう(4.4)

中林梧竹の書に魅了された 魅了されたら真似てみる 真似できなくても何かが得られることはわかっている 中林梧竹のような字体で詩をかけたらいい さあ筆をもて(4.5)

力丸ダム

好きは感情である 嫌いも感情である 感情は一過性のものである場合が多い 雨上がりの力丸ダムを走る車 その車を運転する僕 僕が見ている枝垂桜 枝垂桜はカメラに撮られる 撮られた写真はSNSにアップされる アップされた写真を見る人がいる その中の一人が枝垂桜を美しいと思う 思うは感情である 滅の人は「明日力丸ダムに行ってみよう」と思う 思うは感情である 力丸ダムに行くことは生きることだ 生きることは恥ずかしいことが多い 恥ずかしくても生きる 生きることは死ぬことだから 死ぬまでは生きようとする 生きることとは力丸ダムの枝垂桜に別れを告げることである(4.6)

難しい

難しいと思うのは 難しいと思うからである 脳が難しいと感じるから先に進まないのである ではどうすればいいか そう思うことが既に難しさの輪の中に入り込んでいるのである

昨日の出来事

畑正憲が亡くなった 先日は坂本龍一が亡くなった 誰かが亡くなり誰かが生まれているんだろう 昨日宮沢りえが50歳になったそうだ ヘアーヌード写真集のときは何歳だったんだろう とにかく時間は動いている 昨日力丸ダムの枝垂桜は散りかけていた 数年前にみた力丸桜はすごく派手に見えたが 昨日の枝垂桜は物静かだった ところで僕は今日68才になった 歳と才とはどう使い分けするのだろう? ま、どうでもいい とにかくリズムと勢いが一番欲しい 思想や叙情はあったらいいがなくてもいい 曇天小雨の4月7日 Yahoo!ニュースを見れば最近のことはわかる いやわかったような気になる 何もわかっちゃいないんだが 詩はわからなくてもかける わからなくてもかけるが意味があるのだろうか? 平和を希求するだけじゃ何もならない 詩で革命は起きないだろうが 詩が平安や安心をもたらすことができたらいい 曇天小雨の4月の空に向かって詩をかく 毎日が昨日の出来事

京見屋分店二階にて

詩ってどうやって書くのだろうか 君を愛しているとまず文字にする それから窓の外を見る 昨日歩いた城山が見える 空き地や更地が見える 軽自動車が止まっている 竹林が揺れ今日は穏やかだ 心が穏やかなのか 光景が穏やかなのかわからない 京見屋分店二階のこの窓辺このスペースが穏やかなのか  路地を中原中也が歩いてくる 一階では立原道造が珈琲を飲んでいる 階段を高田渡がのぼってきた 僕は白板(ホワイトボード)に詩をかこう 店のご主人にギターを借りよう 高田渡が珈琲飲むのをやめて ギターを弾き始めた 中原も立原も唄を聞いている 詩人たちにも好き嫌いは当然ある だが唄のいちばん深いところを 感じるかどうなんだ  矢沢宰にメールがしたい 中原が京見屋分店に来てるよ 君もおいでよと連絡したい 矢沢は中原に憧れていたから 何も話せないかもしれないが 僕と高田渡がいれば大丈夫さきっと 中原と立原が会話をしている もう高田渡は唄うのをやめて 笑いながら僕に詞を書けと言う 立原に書かせようと僕は逃げる すでに立原は白い紙に書き始めている  なんと不思議な空間であることか 「宮沢(賢治)を呼べ」と中原が言う 「自分で連絡しろよ」と僕は応える 「連絡先を知らない」と中原は言う 「矢沢に連れてこさせろ」と中原がつぶやく 「立原よ、詞はできたか」と高田渡が聞くと 淡い文字で書いた紙きれを手渡す 高田渡がニヤニヤしながら読んでいる これが隠岐の島西郷にある 京見屋分店二階の光景である

2023年4月は結局13篇の詩をかいておわった。出だしは快調だったんだが、粘りが続かないのはいつものことだ。「詩はどうやって書くのか?」そんな空気に包まれた後半だった。さて5月に向かおう。

 

 

 

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コックン

2014年12月(当時59歳)に近場の低山歩きを始めた。 これから山歩き(登山)をはじめようと思っている方や福岡県内の里山や無名山に興味関心がある方々向けて情報発信したいと考えている。 福岡県の低山・里山・無名山以外にも駅舎や神社、コミュニティーバスなども好きである。

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