御船山とは?
神功皇后が新羅からの帰り、兵船を武雄に止めたことにより山名となったのが「御船山」。
地名、山名の由来にどうしても神功皇后がからんでくるのが北部九州の特徴だと、低山歩きをしていたら認めるしかない。
ところが、この御船山は神功皇后だけでなく、武内宿禰(たけのうちすくね)が深くかかわってくる。
いつか話さなければならない武内宿禰をどこで話すか?
この人物がいちばん謎に包まれているから説明するのも少し億劫なんだが
簡単に言うと政治を補佐する大臣なんだ。
ま、今で言うところの総理大臣と考えて間違いない。
ただこの大臣が天皇の第12代から第16代までを補佐していることから
360歳まで生きたことになってるところからおかしくなるんだ。
しかし日本一の長寿として「神様」になっちゃうわけだ。
僕は「武内宿禰」という個人の名前ではなく、役職みたいな名称じゃないかとも考えている。
香椎宮には武内神社もあるし、近くには不老水がある。
全部が武内宿禰伝承地なんだが、武雄という町の全体が武内宿禰伝承地と思っていい。
それぐらい影響力をもってる人物なんだが・・・
武雄神社とは?
「武雄」という地名にも「武雄神社」にも武内宿禰が関係してくる。
まずは武雄という地名。
これは武内宿禰のお父さんである武雄心命(たけおこころのみこと)が由来と考えて間違いないだろう。
そして武雄神社。
ここには武内宿禰と御船山が由来となってくる。
簡単に言えば御船山の南嶽山頂に鎮座した神様を武雄神社としたのだ。
これが今の武雄神社上宮として残っている。
御祭神は武内宿禰。
これが麓におりてきたのが現武雄神社だと理解した。
武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し
北麓に奉遷し武雄宮が創建されたのが武雄神社だと考えて間違いなさそうだ。
現在では武雄の氏神社として、氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めている。
伊万里で生まれて、今福岡市に住んでいる僕の目から見ても
武雄神社が武雄の中心地に見える。
神功皇后伝承、武内宿禰伝承、嘘が混じっているとしても無視できない。