映画「ミスタームーンライト 1966ザ・ビートルズ武道館公演みんなで見た夢」を観てきた。1955年生まれのひとりっこの僕にとってはビートルズを知るまでには少し時間を要した。ビートルズは1960年に活動開始して1970年に解散している。ジョンレノンは1957年に活動を始めて、1962年にレコードデビューをしている。僕が義務教育を受けていた間がビートルズの活動期間だったことを知った。
映画は約2時間のドキュメンタリー映画なのだが、まったく退屈しない、むしろ自分を振り返るうような感覚になる2時間だった。僕は縄屋(友人宅)の2階でビートルズのEPレコードを見たのが最初のビートルズとの出会いだった。そのレコードが何というタイトルだったかまでは憶えていないが黄緑色のリンゴのマークと赤い透明レコードの記憶がある。同じ部屋にモンキーズやビージーズなどがあったのでカタカナばかりだったので区別があまりつかなかった。僕の頭に最初に残った楽曲は「ヘルプ!」(1965年)だった。1965年=昭和40年はまだまだ橋幸夫や舟木一夫や三田明や西郷輝彦や坂本九やフランク永井で頭は飽和状態だった。昭和40年といえば小学4年生で恋もしていたが、なんといってもサクラの倍賞千恵子の「さよならはダンスの後で」を口ずさんでいる少年だった。ビートルズが入る隙間はないのである。
ステレオもないのだからレコードももちろんなかった我が家に卓上ステレオという小型ステレオがやってきたのは1968年頃だったと思う。歌謡曲はダサイ、日本の歌はもう時代遅れだという意味不明な価値観におおわれはじめた中学一年生の僕は洋楽とやらをやっと聞き始めた。ピーターポール&マリー、パパス&ママス、ビージーズ、ブラザーズフォーなどフォーク系と呼ばれる音楽を好んでレコードを買っていった。その中に「ヘイジュード」が入る。ビートルズで唯一買ったEPレコードである。好きになったのはB面の「レボリューション」だった。その後高校生になってからだろうか。はっきりしないが赤と青の2枚組のレコードを買った。ビートルズを知らないまま大人になるのは恥ずかしいことかもしれないと思ったからだが、あまり熱心には聴かなかった。「イエローサブマリン」とか「カムトゥギャザー」の印象も深いんだが、あれらも縄屋の2階で見たのだろうか?記憶が曖昧である。
さて。映画の話にもどる。映画には北山修、加山雄三、湯川玲子、亀淵昭信(カメ)、松本隆、尾藤イサム、財津和夫、奥田民生、黒柳徹子などが登場するのだが、(もっと年輩の有名人も登場するのだが、僕に親しみがあまりないので知ってる人の名前だけを羅列した)財津和夫がビートルズとの出会いを話す場面だった。友人に誘われ「ビートルズがやってくるヤア!ヤア1ヤア!」をセンターシネマに観に行ったというのである。そこであの懐かしい1970年代のセンターシネマの写真がスクリーンに出てきた時が一番の僕が興奮する場面だった。(センターシネマの思い出は、東洋ショーの思い出は後日書くことにしよう)
結論を言えば。音楽の革命があの10年間で起こっていただけでなく、考え方やファッションや自由とか愛のとらえ方までが変化している時間だったんだということか。登場した何人かの言葉に的確な表現されていたが、思い出せない。ま、日常を普通に歌にしたり、演奏したり、楽しんだり・・・こんな「普通」を提示したのがビートルズだったと言うのだ。そうだと感じた。アメリカ音楽の数多のミュージシャンやグループにもできなかったことをイギリスの4人の若者がやっていたこと。やはジョンレノンの存在は大きいと感じた。あの1960年から1970年までのビートルズの残したものが果たしてビートルズが意図したものかどうかはわからない。誰かがビートルズを利用して民衆を唯物的な思考に導いたとも考えられる。しかし、今の時点で僕にはわからない。60年たった今、ビートルズを絶賛する映画を観た僕がいるが、100年後のビートルズはどう評価されるのかわからなというのが僕の正直な感想である。