読書に対する考え方の間違い
「趣味は何ですか?」「読書と音楽鑑賞です」などと読書を無難な活動、趣味、娯楽の一つととらえて66年間生きてきた。
大きな間違いだったと気づいた。
読書はスポーツと考えたほうがいい。
スポーツは練習も本番も含めてきつい!
読書は練習なしの本番のみだから、一般のスポーツよりもきついスポーツである。(基本、練習や準備運動なしではじめるから)
やわらかなソファーにもたれて読むのも読書スタイルのひとつであるし、図書館で閉館まで集中して読むのも読書である。
これから提案する「スポーツ読書」はコンビニで立ち読みする、あの感覚に近いかもしれない。
山頂で読書をしてみた
山でご飯を作って食べる、山で珈琲を淹れて飲む、山で寝泊まりをする(キャンプ)、山で恋をする、山で結婚するなどなどさまざまな山での楽しみ方を見てきた。
ならば山で読書もありだろう!と考えて実践してみた。
山歩きには、そのコースを安全に歩き、山頂を楽しみ、道端の草花を楽しむなどの目的がある。(多くの場合が)
その目的を「山で本を読む」としただけの話なんだが、理由は、自宅にいても、読みたい本は購入してもなかなか本を読まなく(読めなく)なったからだ。
ネット(動画)で珈琲の勉強をしたり、タブレットで映画やドラマを見てると楽だから、そっちの時間に流される傾向にあった。
これではいつまでたっても買った本の数々を読まないまま死んでしまうと思った次第だ。
山での読書は想像以上のたたかいだった
別に山でなくてもいいじゃないか!近くの公園でもいいんじゃないのという意見もあるだろうが、近くの公園じゃ真剣になれないと考えた。
シートを敷いてザックを枕にしてゆったりとした読書のイメージはなかった。
山によくある長いベンチか丸太ベンチみたいなのに座って、とにかく1冊読破することが目的だった。
結果、陽射しが強かったので山頂にあったあずまやという最強の環境を手に入れて、そこで読書を開始した。
そこに待っていたのは想像していない敵の登場だった。
メマトイである。
顔のまわりをぶんぶんとびまわるあれである。
読書するにはなかなか手ごわい敵(障害)だったが、そのメマトイのおかげで「読書はスポーツだ!」を発見?気づいたのである。
スポーツ読書(山読)とは
メマトイの攻撃から逃げて帰るのが僕の行動パターンなんだが、この山頂読書には、「1冊最後まで読む」という山歩きで感じる最後まで歩き切ると似た感覚だったので逃げて帰る発想はなかった。
しかし、メマトイからは逃げた。
あずまやをはなれて、山頂空間を歩きながら読書したのである。
「歩きながら本を読む」・・・これは思いつかない行為だった。
ヒントはコンビニの立ち読みするときのあの集中力にかなり似ている。
読書を「楽しむ」という発想は捨てたほうがいい。
読書は結果的に楽しいのであって、読むという行為は苦しいということに気づいた。
スポーツ読書には決まったスタイルはないが、基本は「気合い」と「根気根性」が少し必要だということだ。
歩きながら読む、立って読む、ストレッチしながら読む、逆立ちしながら読む、(もちろん座って読む、正座して読むもあり)・・・そんな感じの読書スタイルをスポーツ読書ととりあえずしておく。
まとめ
まだ1度しか経験していないし、まだ1冊しか読んでいないので、そのレベルでしかものが言えないのだが。
山の読書にも低山歩き同様の「飲み物」と「行動食」(おやつ)があったほうが望ましい。
服装は低山歩き同様、レイヤリング(重ね着)の準備が必要と考える。
夏場は防虫対策を考え、冬場は防寒対策が必要と考える。
なによりも重要なことは「読みたい本」「おもしろい本」との出会いである。
読みたくない本やおもしろくない本をわざわざ山で読みたいとは思わない。
コミック本や週刊現代や週刊ポストからはじめてみるのはどうだろうか?
ちなみに僕は、このブログを書くのに役立ちそうな堀井憲一郎著「いますぐ書け、の文章法」を読みました。
よって、「いますぐ」書いている。