壱岐真根子(いきのまねこ)
武内宿禰の弟である甘美内宿禰(うましうちすくね)が兄を廃そうとして
天皇に讒言(ざんげん=事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと)した結果、
天皇は武内宿禰を殺すため使いを出す。
武内宿禰は壱岐に逃れる。
武内宿禰と容姿が似ていた壱岐真根子が身代わりとなって自刃する。
その死体を埋葬した場所が伏尸神社であるというのである。
一方、壱岐真根子は三韓征伐で父である雷大臣命に従い三韓に至り、
征伐後は壱岐島に留まったという説もある。
記紀も〇〇家系図などもそれぞれの都合で書かれたものなので
伝説伝承はそのあたりを「おもしろい」ととらえて読まないと、まじめに考えたら頭が痛くなる。
僕は所詮、歴史とか伝承には向いていない。
伏尸神社とは
伏尸神社(ふししじんじゃ)とは何か?
その名称に表わされていると考えたほうが簡単だ。
壱岐真根子が自ら剣に伏し死んだの「伏」、
そして「尸」とは「屍(しかばね)」の略字である。
また「戸」と書けば「一」は魂の意味。
魂が肉体から抜け出た状態の象形が「尸」である。
神社に「死」はふさわしくないと「伏尸」と表記されたらしい。
壱岐真根子を祀ってあり、
春夏秋冬年4回の祭が行われているそうだ。
やはりどう考えても武内宿禰伝承があるのがこの武雄市界隈の特徴である。