まだ第1話と第2話・・・次回が早く見たい
まだ1話と2話しか放送されていないし見ていない。
しかし、早く次が見たくなるドラマだ。
「日本沈没」のなにがこんなに気持ちを引き込こんでいくのだろう?
たぶん、ドラマというより
地球の未来とか地球の環境とか現実に迫っている課題を
制作側はネタとして提供しているだけかもしれないが
中には真剣に問題提起しているスタッフの意識もあるんじゃないだろうか?
なかなか目覚めない我々に何かを伝えようとする思いが伝わってくるのは
やはり製作者側の思いがあるから視聴者である僕らは見入っているのではないだろうか。
テレビのドラマが日本を変えるかもしれない
ドラマにも描かれているのは政治家の権力欲であり
学者たちの名誉欲や出世欲などが絡んでいる。
これらはすべて「お金」という物質があればしあわせだという
唯物的な思想が蔓延していしまったこの現在の犯した罪の積み重ねだと思う。
温暖化とか気象異常というそのすべての源は人間の欲と傲慢である。
人間の「欲」である。
僕らひとりひとりが積み重ねてきた罪である。
変化
1973年小松左京のSF小説「日本沈没」は大ヒットした。
映画になったりアニメになったりテレビドラマになっている。
当時の僕は「SF」という二文字があると体が受けつけなかった。
SF小説はなんか現実と遠く離れたお話のようでまじめに読む気がしなかった。
あれから半世紀の時間が流れた。
僕だって「変化」した。
テレビドラマ「日本沈没-希望の人ー」を身近なこととして見ている。
数年後には「起こる」こととして見ている。
コロナだって2年前までは想像もしていなかったことなんだよ。
テレビ(局)は・・・
テレビは、テレビ局は視聴率をとるために制作しているのかもしれないが
ひとつのドラマが革命のきっかけをつくるかもしれない。
革命とは「目覚め」とか「気づき」かもしれない。
変革は始まっている。
そして手遅れになりかけている。
しかし変革は「ひとり」から始まる。
自分から始まる。
裏を読む
ドラマがどんなにおもしろくても警戒はしなくちゃいけない。
テレビは世論をコントロールする道具(武器)でもあるわけだから、
おもしろいおもしろいと感じているうちに見えない権力側の思うツボにハマってしまう可能性もある。
コロナ終息→M3以上の地震の連続→「日本沈没放映」→阿蘇山噴火(10/20)
※地震=10/6岩手県沖M5.9,10/6大隅半島沖M5.5,10/7千葉県北西部M5.9,10/15和歌山県北部M3.6
こうして考えていくと、コロナの次は地震や火山噴火で恐怖に陥れられるとも考えられる。
目に見える事象を常に疑いながら「今」という時代は生きていくしかないのかもしれない。
時々は「裏を読む」ということもブログで書いていきたい。